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展覧会

幻想と芸術と人間と〜その1 幻想の具現化〜

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やっとこさ暖かくなってきてようやく春の到来を実感できるようになった。大学はどこの団体も新歓で大忙し。いや〜なんて言うか本当に春だねえ。またようやっと新しい生活リズムにもなれてきたところだ。まーまだ若干本調子ではないけど…

そんなわけでこの前4/16にお誘いがあったんで、作家の江本創さんの展覧会、Coelacanth Complexを見に芦屋の芦屋画廊というところまで行ってきた。

今回はその感想やお話した中で考えた事をだいたい2回〜3回くらいに分けて書いていこうと思う。


それではまずこちらの写真から…といきたい所だったんだけど、いかんせん私が撮ったものを振り返ると、もひとつぱっとしないのしかなかったので写真が見たい方はこちら→http://ameblo.jp/ashiya-garo/を参照していただく事をお勧めする。

 そこにはシーラカンスと同族にして現代の魚にどこかにた姿と生態を持つ幻想の魚たちが飾られていた。
なんでも全てが紙を用いて造った作品であるというが、まあ、本物の標本にしか見えなかったねえ。実際には存在こそしないけれど生物学的に見ても矛盾がない造りになっていて…あれには舌を巻いた。

 こういった作品を造り上げるのに一体どのくらいかかるのか…どこが一番大変なのかということについて、まず芦屋画廊のGalleristの方にお話を聞いてみたところ、『想像の創造』という部分、つまり想像上の、幻想の生き物を考える事、その生き物が果たして本当に「幻想」なのかを確かめるのが一番大変な部分らしい。
幻想を実体化するにあたって幻想であるはずのものが実在してはいけないということのようだ。
そこが決まってしまえば後は制作に向けて作業するのみだということ。(もっとも、実際には勿論これも大変で、気の遠くなるような作業らしいが…)

 しかしこの幻想を具現化させるということはなかなか面白いことだと思った。
というか、そもそも「幻想」ってなんなんだ?ということから改めて考えるきっかけになった。

 じゃあ、とりあえず幻想と、似たような言葉を辞書で引いてみるか。

  幻想:現実にないことを思い描くこと。また、その思い。
  空想:現実にはありそうもないことをあれこれ頭の中で想像すること。
  想像:頭の中に思い描くこと。既知の事柄をもとにして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること。
                                (大辞林 第二版)
とまあこんな感じだ。
いずれも「現実にはない」という意味を含んでいるが微妙にニュアンスが違うようだ。
Coelacanth Complexに関して言うなら多分「想像」が最も近いだろうか。なんだって既知の生物がベースになっているからねえ。
 また、幻想や空想と言ってもさまざまな種類があるだろう。
例えば、なんかありそうなのにじっさいには存在しない、こんなことがあったらいいなという願望、例えようのない恐怖、歴史の中のIf、などなど…
まあ、いずれにせよ頭の中で思い描くものだという点は共通しており、よくわかるだろうと思う。
こいつらは本当に自由で、なんかなんでもありなような印象を受ける。これは多くの人が共感するんじゃないかな…
おそらくこれは間違っちゃいないだろう。言っても個人が何を想像しようと、どのような幻想を抱こうと自由で、その人にとってはほぼ間違いなく幻想と言えるだろう。
 ただ、これをじゃあ一般に幻想と題して公開したならどうだろうか。ある人にとっての幻想がそのまま他人にとっても幻想であるのか、もっというと本当に一般的な意味での幻想なんだろうか?
多分ここに幻想を実体化することの難しさがあるんだろうなと思う。

 幻想というものは言ってみれば現実となった時点で死ぬ。頭の中で思い描いていた事が現実となればそれはすでにただの現実なのだ。分かりやすい例で言うと、そうだねえ…多分誰しも一回は経験があるだろうが、なにかもの凄く欲しいけど長いこと手に入らず、あれこれと想像をかき立てていたものが、いざ入手してみると割とすぐに飽きたり、なんだい、こんなもんだったのかと思ったり、速攻で次の欲しいものが出来てまた想像を膨らましたりすることがある。人はどうやら幻想を求めなくてはやっていけない生き物のようで、幻想が崩壊すれば即座に新たな幻想を求めたりする。私も恐らくそんな一人なんだろうけど。

 まあそんなことだから具現化するのは凄く難しいわけで、具現化していく過程でもし現実とほとんど重なる部分があれば一般に幻想ということはもはや出来ないし、そうなれば自分の頭の中の幻想の世界ももれなく破壊されることになる。つまり、具現化することがそのまま現実にぶつかるリスクを持ち、もしぶつかれば自分の幻想が即終了というわけ。それはそれは残酷な話だ。
 これは比較的、現実にありそうでないものというジャンルに近い幻想がメインの話で、これらの条件をクリアさえ出来れば「幻想」の一般化された形として具現化は可能だ。

 もちろん、完全にあり得ないものや、願望や恐怖など何らかの意識に影響を受けるもの、これを具現化するのもまた難しいだろう。
 完全にあり得ないものは…とりあえずおいといて、何らかの感情や意識に由来する幻想は、個人の中では現実とならない限り具現化しようとしても壊れることはないだろうが、あくまで個人の特有のものを含んでいるため、一般にその意味を持つ幻想としてすべての人に伝わるのはほぼ不可能だろう。
 たとえば、怖がらせることを意図して描いたバケモノの絵かなんかがあるとして、ある人は純粋に怖いと感じるだろうし、気味が悪いと思う者もいるだろう。でももしかしたら滑稽だとか、美しいとか、かっこいいだとか思う者もいるかも知れない。全く何の感情も覚えないひとだっているだろう。
このように特定の感情に起因する幻想というのは完全に人それぞれの感性に依存するから、自分が意図した意味での具現化はもの凄く難しいのである。

 それなら、どうすりゃいいんだろうねえ、幻想の具現化ということに関しては。
 私は(特に後から言った方の)幻想の具現化は、意図した内容、起因する感情が確実に伝わるかどうかはそこまで問題ではないんじゃないかと思う。なぜか?
 まあとりあえず幻想の効能というやつはいってみれば日常生活をより面白くするためのものだろう。目の前の現実だけでは発達した脳みそを持つ人間にとっては面白くないのだと思う。なにか無意識のうちに想像を膨らましていることは多々あるはずだ。具現化された幻想、それはどんなものであれまた何らかの想像を喚起するであろうことは想像に難くない。それにこそ意味がある。
 具現化された幻想とは答えのない問題。そいつに解答し続けることで日常を面白くすることもできるし、ひいては自分を再発見できることにもつながるんじゃないかと思う。わたしゃこんなことを考えてたのか、感じたのかということに気づけばいい。

私が考える幻想とその具現化は大体こんな感じだ。

予想してたよりずいぶんと長くなったようだがまあ気にせずやっていこう。

次は同じタイトルで抽象画のことを書く予定。

ではまた。
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